夏目漱石文学の代表作の一つ、『吾輩は猫である』の内容を約3分(1700字ぐらい)で読めるあらすじにしました。
プラス基本情報や著者の感想を、この記事では載せています。
『吾輩は猫である』は、名前は知っていても内容やラストを知らない人が多いと思います。
この機会にぜひご確認ください。
完全にネタバレ有のあらすじになります!ご注意ください。
原文をすこし覗いてみたいかたはこちら!
夏目漱石『吾輩は猫である』基本情報
『吾輩は猫である』作品情報
ページ数 | 515ページ (AmazonのKindle青空文庫版による) |
初出 | 『ホトトギス』連載(1905年1・2・4・6・7・10月、翌年1・3・4・8月) |
夏目漱石のデビュー作です!
主な登場人物・モデルについて
- 吾輩…苦沙弥の家に迷い込んできた猫。苦沙弥の周りの人物を眺める語り手。名前を付けてもらっていない。
- 珍野 苦沙弥(ちんの くしゃみ)…英語教師。吾輩の主人。胃弱。
- 迷亭(めいてい)…苦沙弥の友人。美学者。ホラ話で周りを惑わせるのが趣味。
- 水島 寒月(みずしま かんげつ)…苦沙弥の元教え子。理学士。掴みどころがないタイプ。
- 越智 東風(おち とうふう)…寒月の友人。文学趣味が強い。新体詩を書いている。
- 八木 独仙(やぎ どくせん)…苦沙弥の同窓。禅に傾倒している。
- 金田 鼻子…実業家の夫を持つ金満家。鼻が大きい。
- 金田 富子…鼻子の娘。寒月と縁談話がある。
珍野 苦沙弥のモデルは夏目漱石自身、水島寒月のモデルは門下生で物理学者・随筆家の寺田寅彦と言われています。
(寺田寅彦は「天災は忘れた頃にやってくる」という警句でも有名です)
迷亭のモデルは美学者の大塚保治ともいわれましたが、漱石は否定しています。
夏目漱石『吾輩は猫である』3分でわかるあらすじ
吾輩、珍野苦沙弥の家にたどり着く
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。うす暗いじめじめしたところでニャーニャーないていたのだが、書生という人間に拾い上げられ、笹原でどさりと落とされた。
痛い。誰もいない。心細い。腹が減って苦しい。
笹原から這って這って竹垣のくずれた穴から、とある邸内に入り込んだ。
そこが珍野苦沙弥の家だった。
この家が吾輩の住家となった。
主人は昼寝も夜寝もする
主人の職業は教師だ。
この主人のことを家のものは大変な勉強家だと思っていて、当人も勉強家であるかのごとく見せている。
けれど書斎で主人は一人、よく昼寝をしている。そして、夜寝もする。
胃弱のくせに大飯を食い、書斎に入ると本をひろげ、2~3ページ読んで寝る。よだれが本にたれる。主人の日課だ。
鼻毛を抜いて原稿に並べたりもする。肉が残っているから立つ。
教師というのはじつに楽だ。これなら猫でもできる。
なのに人が来ると、教師ほどつらいものはないと不平を漏らしている。
迷亭の言うことはホラばかり
主人の知り合いには変わり者が多い。
友人で美学者の迷亭は、いい加減な事ばかり言っている。
先日も西洋料理屋に行き、
「ここの料理屋は月並だ。イギリスやフランスでは天明調や万葉調が食えるんだが…。仕方ないからトチメンボーを二人前持ってこい」
と言った。
ボーイは「最近はトチメンボーの材料が手に入らないので、メンチボーで我慢してください」と答えた。
西洋料理にトチメンボーなんてものはない。俳人の橡面坊と掛けた洒落である。
この美学者はこんなことをふきちらして人をかつぐのを唯一の楽しみにしている。
寒月の研究と合奏会での出会い
水島寒月は理学士で、主人の旧門下生であったそうだが、今は大学の博士課程に在籍している。
今の研究内容は「首縊りの力学」。
ヴァイオリンが趣味で、先日は女性二人と合奏会でヴァイオリンを弾いたそうだ。
主人を巡る個性の強い面々
主人のところにはいろいろな人が訪ねてくる。
越智東風は寒月君の友人で、いかにも真面目そうな書生風の男だ。
けれど文学狂いで、「おちとうふう」という本名を、文学的に「おちこち」と読ませたがっている。そのように読まないと怒る。新体詩を書き、世の中に愛と美ほど尊いものはないと考えている。
八木独仙は主人の同窓だ。禅学に凝り固まっている。
独仙の影響で二人ばかり気狂いになったそうだ。
けれど迷亭が言うには、悟りきっておらず、いざというとき大慌てになる。
多々良三平は法学士で、六井物産会社の役員をしている。
駆け出しの実業家だ。猫は旨いと言っている。要注意だ。
寒月と金田富子の縁談話
ある日、主人のところに女の客が現れた。
鼻がむやみに大きい。この女を鼻子と呼ぶ。
鼻子の夫の金田氏は実業家で金満家だ。
鼻子には、金田富子という娘がいる。
この娘こそ先日、寒月がヴァイオリンで合奏したうちの一人で、寒月と富子嬢の間に縁談話があるらしい。
鼻子は寒月の評判と、寒月が博士になれるかを聞きに来た。
(金田家では、寒月が博士にならないと、嫁にやる気はない)
主人は実業家を非常に低く見ているので、鼻子は煙に巻いたような応対をされ、茶化されて帰って行った。
寒月が博士論文を書き始めた。
「蛙の眼球の電動作用に対する紫外光線の影響」という。
ただ、書くのに10年~20年かかるらしい。今は実験に必要なガラスの玉を摺り上げてばかりいる。
寒月は国の女性と結婚し、多々良は富子と結婚する
それからしばらく経った。
迷亭・寒月・東風・独仙が主人の家に集まった。
相変わらず無駄話に励んでいたのだが、寒月が博士論文を書くために玉を磨くのを辞めたと報告した。
結婚はどうするのかと聞くと、寒月はなんと国に帰ってすでに別の女性と結婚したとのこと。
そうこうしていると多々良三平が現れた。
多々良三平と金田富子の結婚が決まったそうだ。
吾輩 水甕に落ちる
吾輩は多々良三平の持ってきたビールを飲んでみた。
眼のふちがぽうっとする。歌がうたいたくなる。猫じゃ猫じゃが踊りたくなる。いつの間にか水甕に落ちた。
吾輩は自然の力に任せて抵抗しない事にした。吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。
【 夏目漱石『吾輩は猫である』完 】
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『吾輩は猫である』は、耳から読書する方法もあります
『吾輩は猫である』の感想と名言
『吾輩は猫である』は次のような小説だと思います。
これが結論!
『吾輩は猫である』はキャラ立ち先行のドタバタラノベ
あらすじを見てもわかるように、登場人物がみんなキャラクターが立っています。
だから、ラノベ的です。だけど語彙や笑いの知識レベルが高等・高級すぎて難しい!
そしてそんな知識人なのに、みんなどこか残念な性格をしています…
それを人間ではない猫が、客観的な視点で眺めるところにユーモアがある小説です。
ただ、キャラクター小説と言っても、明治時代は、平成や令和とは勝手が違うと思います。
作中でも独仙がこのようなことを言っています。この部分を名言としてご紹介します。
昔しの人は己れを忘れろと教えたものだ。今の人は己れを忘れるなと教えるからまるで違う。二六時中己れと云う意識をもって充満している。それだから二六時中太平の時はない。いつでも焦熱地獄だ。
(※二六時中…今でいう四六時中のこと。一日中)
『吾輩は猫である』の登場人物のキャラ立ちは、江戸時代から明治時代になって考え方が急激に変化したことで、生まれたものだと思います。江戸時代では生き方に規範がありましたが、明治で生き方や考え方が広くなりました。
いい事とは思いますが、そこから新たな対立・孤独感が生まれると思います。
そんなドタバタを眺めてきた「吾輩」が、最後に「太平は死ななければ得られぬ」と感じ「ありがたい」と思いながら幕を閉じる。このお話は近代が生んだドタバタ小説だと思います。
今回のあらすじは、かなりエピソードを省いています。
『吾輩は猫である』を今から全文を読んでみたいと思った場合は、講談社 青い鳥文庫『吾輩は猫である』(上・下)がオススメです。
青い鳥文庫は子供向け文庫ですが、この作品は言い回しは原文そのままです。読みやすいように漢字を変更し、漢字には全部ルビを付け、注釈も細かく2ページごとに付いています。
知識レベルを補強してくれます。
私もこの本で読みましたが、正直、この本じゃないと、読むのがつらいと思う…。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
この記事がお役に立ったらうれしいです!
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