『パンドラの匣』は、1945年-1946年に地方新聞『河北新報』に連載された、太宰治の長編小説です。
第二次世界大戦後すぐに書かれた作品で、「めずらしく明るい太宰」と言われることも多い作品です。
「うん、書きたいと思っているものがあるんだ。(中略)何しろ終戦だろう。僕は、改めて希望というものを感じている。パンドラの匣から、最後に見つけ出した生きがいというか、もう長虫だの歯のある蛾だの毒蛇は見たくもないんだ」
『太宰治と仙台 -人・街と創作の接点』須永 誠 著より
太宰自身も「希望」を感じてこの作品を書きはじめたということを言っています。
言葉としての「パンドラの匣」はギリシャ神話に登場する「この世のあらゆる災厄を収めた箱」のことです。これを人間は開けてしまったけれど、最後に人の手には「希望」が残されました。
このお話は主人公「ひばり」の成長小説ですが、なにが成長したかと言われるとわかりにくい気もします。
今回は主人公の「ひばり」の人物像・物語の仕掛け・周辺情報などからこの作品について捕捉し、「ひばりの成長がどのようなものだったか」とそこからわかる作品のテーマ、さらに「太宰治のやさしさ」について解説していこうと思います。
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『パンドラの匣』作品の成り立ち
『パンドラの匣』という作品は少し成り立ちが複雑です。
太宰治が文通していた相手で木村庄助さんという太宰作品のファンがいました。
この方がお亡くなりになった時、遺言で彼の日記が太宰治の手元に届きました。
太宰治はその日記を参考にして『雲雀の声』 という作品を創作しました。
けれどこの作品は戦時下で印刷会社が焼けてしまったことにより、出版が見送られます。
戦後、残った校正刷りを元に書き直しされ、新聞に連載されたのが『パンドラの匣』です。
『パンドラの匣』の登場人物
小柴利助(ひばり) | 主人公。20歳。病気のため、高校に行く機会を逃した。 |
竹中静子(竹さん) | 助手(看護婦) 25~6歳。大阪生まれ。しっかりしている。 |
三浦正子(マア坊) | 助手。18歳。ピチピチしている。 |
大月松右衛門(越後獅子) | 塾生(結核患者)。中年男性。新聞記者という噂 |
木下清七(かっぽれ) | 塾生。28歳。左官屋。独身。 色男。 |
西脇一夫(つくし) | 塾生。35歳。郵便局長らしい。 |
須川五郎(固パン) | 塾生。26歳。法科の学生。 助手から人気が高い。 |
田島先生(清盛) | 場長(院長)。50代ぐらいに見えるがまだ30代。 |
あらすじからは完全にネタバレありの記事になります。
ご注意ください。
『パンドラの匣』のあらすじ
日本は戦争で負けた。
玉音放送を聞いて、二十歳の僕は自分が新しく生まれ変わった気がした。
いわば僕は新しい男だ。
僕は数か月の間、山奥にある「健康道場」で治療することになった。
ここは変わった結核療養所で、院長のことを場長、看護婦のことを助手、患者のことを塾生と言い、あだ名で呼び合う。
ここには様々な人がいる。塾生に特に人気があるのは、助手のマア坊と竹さんだ。
年下のマア坊は抜けてるけど可愛い。たまに思わせぶりなことを言うので少し怖い。
助手長の竹さんは働き者でその行動は気品すら感じる。だけど美人じゃないし大柄・色黒で見てて気の毒になる。
4か月ほどたったある日、竹さんが場長と結婚すると聞いた。僕はひどくショックを受けた。
実は僕は竹さんが大好きだった。好き過ぎて本当のことが言えず、照れ隠しで「美人じゃない」などと言ったのだ。
僕はつい泣きそうになった。それを見てマア坊は「知っているのよ」と言いながら泣いた。
泣き止んだマア坊に気品を感じた。
その後竹さんとも話し、心から竹さんの幸福を祈りたい気分になった。
僕は自分のことを「新しい男」と言い過ぎた。そんなことを言わなくても、いつの間にか僕の周囲は僕と同じくらいに明るくなっている。植物の蔓は明るいところに進むわけではなく、蔓が進んだ方向に陽は当たるのだ。
考察
『パンドラの匣』は、戦争中に一旦何もかもが無くなった後の「新しい時代の希望」を、太宰治が描いた作品です。
それは主人公ひばりの性格の特徴2つと、彼の自分以外の人を見る目の変化を通して見ることができます。
これからその点について説明します。
小説の特徴 - すべてが手紙形式の小説
この小説の特徴は、全部が主人公のひばりの手紙で出来ているということです。
書かれているのはすべてひばりの見たことと、ひばりの考えです。地の文がなく、このことがこのお話のからくりになっていることをまず押さえておきます。
ひばりの性格の特徴① 堕落するような恋愛はいけない
次にひばりの性格を見てみます。
ひばりには「恋愛は堕落だ」と思っている部分があります。
マア坊には、道場の助手としての資格が無いと思った。道場は神聖なところだ。みんな一心に結核征服を念じて朝夕の鍛錬に精進しているところなのだ。(中略)竹さんを、どんなに好いても、竹さんはその人を寝込ませたり堕落させたりなんかしない人だ。
マア坊に迫られた時のひばりの感想です。
ただ、ここでは竹さんを「堕落させたりなんかしない人」と持ち上げていますが、別の個所では竹さんがわかりやすい好意を示すと、途端に竹さんのしたことを非難します。
竹さんを、もっとしっかりしたひとだと思っていたが、やっぱり、女はだめだ。ふだんあんなに利巧そうに涼しく振舞っているだけに、こんな愚行を演じた時には、なおさら目立って、きたならしくなる。
のちに、竹さんが結婚を知った時にひばりはこう言っています。
さすがの新しい男も、竹さんの事を思うと、どうも、からだが重くなって、翼が萎縮し、それこそ豚のしっぽみたいな、つまらない男になりそうな気がする
ひばりには、一般的な恋愛は人を堕落させるという思いがあります。
そしてそのことは、言葉だけではなく、ひばりのあだ名、さらに好きな詩でも念入りに表現されています。
ひばりのあだ名 空高く飛ぶ鳥
ひばりは高く飛ぶ習性のある鳥です。
ひばりのオスは繁殖期が始まると、さえずりながら高く飛びます。
『パンドラの匣』の「ひばり」のあだ名は名前から付けられたと作中では言われていますが、理想や高みを求める青年期の男性に、ぴったりのあだ名です。
● コラム
【ひばりの雲切り】
谷崎潤一郎の『春琴抄』に、ひばりのその修正を生かした「雲切り」についての記述があります。空に放ったひばりが、空中で水平に大きく旋回しながらさえずることを「雲切り」と呼びます。
この鳥は天に向って飛揚せんとする習性があり籠の裡にあっても常に高く舞い上るので籠の形も縦に細長く造り三尺四尺五尺と云うような丈に達する。しかれども雲雀の声を真に賞美するには籠より放ってその姿の見えずなるまで空中に舞い上らせ、雲の奥深く分け入りながら啼く声を地上にあって聞くのであるすなわち雲切りの技を楽しむ。
谷崎潤一郎『春琴抄』より
好きな詩『オルレアンの少女』
作品中で越後獅子=大月花宵の作品と言われるのが『オルレアンの少女』です。ですが、現実の詩人のシラーにもこのタイトルの作品があります。 シラーは『走れメロス』でも引用されていることからわかるように、太宰治の好きな詩人です。
オルレアンの少女とはジャンヌ・ダルクのことです。
シラーの作品では、ジャンヌ・ダルクは愛する男性の想いを振り切って、民衆のために戦いに飛び込んで亡くなります。
この作品が好きと言っていることにも、恋愛よりも高みを求めるひばりの考えかたが出ています。
ひばりが気が付かないこと(または気が付かないふりをしていること)
ここまで
恋 愛 < 高尚さ
な青年ひばりの姿について見てきました。
そして次に、そんなひばりが気が付かないこと(または気が付かないふりをしていること)について考えてみたいと思います。
竹さんとマア坊はひばりにわかりやすい好意を示しています。竹さんの藤娘のお土産とおひつのご飯、マア坊の特別なお土産などです。また、2人の好意はひばりの言う「口癖」にも出ています。
マア坊の「意地わる」と竹さんの「いやらし」
竹さんの口癖は、「いやらしい」だし、マア坊のは「意地わる」である。以前は、言われる度に、ひやりとしたものだが、いまでは馴れっこになって、まるで平気だ。
ひばりが2人の口癖と言っているこの言葉ですが、これは好意を持っているひばり相手だからこそ出てくる言葉だと思います。
竹さんは大阪出身なのでこの「いやらし」は「嫌らし」ぐらいの意味で、ちょうどマア坊の「意地わる」に近い意味だと思います。詳しくはないですが、本当に嫌な場合は大阪弁では「いけすかない」じゃないでしょうか。
この二人はひばりに好意を持っています。ただ、ひばりの書いた手紙形式なので、そのことがはっきりとはわかりにくくなっています。
青年期の微妙さを感じる小説
この小説では高みを良しとして普通の恋愛を怖がっているけれど、そこから離れられない青年ひばりの姿が描かれています。
それが手紙というひばりの立場だけから描かれていて、トリックにもなっているのがこの小説の面白さです。
読んでいて私の思った「こんなところがとてもひばり」を2つ挙げてみます。
洗面所でマア坊に
「ゆうべ覗いてみたらひばりの寝顔が可愛かった」
と言われながら押され、壁際まで追いつめられしどろもどろになるひばり。
無理だよ。どだい無理だよ。僕は二十なんだ。困るんだ
……二十歳でしどろもどろですが、今あなたをグイグイ押しているマア坊は年下の十八歳です。
ひばりはいじわるだからお土産をあげないと、マア坊に言われてしょげるひばり。
僕がそんなにマア坊にきらわれていたのか。好かれているとは、もちろん思っていなかったが、こんなに僕ひとり憎まれてきらわれているとは思い及ばなかった。(中略)現実は、きびしいと思った。いったい僕の、どこがいけないのだろう。
そしてその後、お土産が特別に用意してあったことを知り、さらにひばりに何かあったら助手のうち4人が泣くと告げられたひばり。
いまでは何だか皆を高所から見下しているような涼しい余裕が出来ていて、自由に冗談も言えるし、これもつまり、女に好かれたいなどという息ぐるしい慾望を、この半箇月ほどの間に全部あっさり捨て去ったせいかも知れぬ
えっ、ひばりはついさっきまで悩んでいたような…。
● コラム
【逆からみたネタバレ映画『看護婦の日記』】
1947年の大映の映画で『看護婦の日記』という作品があります。これは『パンドラの匣』を原作とした作品ですが、描き方が違います。
『パンドラの匣』はひばりの立場から描いた小説ですが、これは看護婦の方から描いた作品で、「一人の素晴らしい若い患者、ひばりを巡る二人の看護婦の物語」だそうです。
タケさんもマア坊もひばりに惹かれますが、タケさんはマア坊の気持ちがひばりにあることを知り、自分から身を引き場長の元に嫁ぐとのこと。
太宰治はこの映画を気に入っていなかったようですが、当初のタイトル「思春期の娘たち」から「看護婦の日記」に変更させたところなどから見ると、全く映画にノータッチだったというわけではなく、さすがに解釈などに意見はしてると思います。
なので、この二人がひばりのことを好きだったというのは、ここからも間違っていないです。
ひばりの性格の特徴② 自分こそ新しい男だ
次にひばりの性格のもう一つの特徴について考えてみたいと思います。
それはひばりがなにかあるごとに「自分は新しい男だ」「自分は新しい男だからこうする」と考えていることです。
さすがの新しい男も、この時ばかりは閉口した。実に、わかった。何もかも、よくわかった。僕は、マア坊の事は、きれいにあきらめるつもりだ。新しい男は、思い切りがいいものだ。未練なんて感情は、新しい男には無いんだ。
そして、他人を「新しい・古い」で判断しようとします。
僕は君の手紙を読んで、「古いな」と思いました。君、もうすでに新しい幕がひらかれてしまっているのです。
ひばりの考え方の変化 - 自分が「新しい男である」ことを撤回
このような特徴を持つひばりですが、物語の最後では「自分が新しい男である」ことを撤回しています。
それは物語の最後で花宵先生(越後獅子)の演説を聞く部分です。
聞きながら僕は、何度も赤面した。僕は今まで、自分を新しい男だ新しい男だと、少し宣伝しすぎたようだ。献身の身支度に凝り過ぎた。お化粧にこだわっていたところが、あったように思われる。新しい男の看板は、この辺で、いさぎよく撤回しよう。
このように変わった理由はなんでしょうか。
それにはこの部分だけでなく、その前からの兆しを見る必要があります。
越後獅子は古い?新しい? その考え方は新しい?
ひばりは基本的に自分をこどもと考え、対するおとなのことを古いと馬鹿にしているところがあります。
もちろん越後獅子は年齢からしておとなで、どこか馬鹿にする対象です。
かっぽれと固パンが喧嘩をしてそれをごまかそうとしたときに、ひばりの言葉の一部を変えて伝えた越後獅子についてひばりはこのように思っています。
芝居の作用とは、どういう意味か解しかねるが、僕のような若輩から教えられた事をそのまま言うのは、沽券にかかわると思って、とっさのうちに芝居の作用という珍奇な言葉を案出して叫んだのではないかと思われる。おとなというものは、いつも、こんな具合いに無理をして生きているのかも知れない。
それから少し経った時には、越後獅子についての感想が次のように変わってきます。
越後獅子は、にやりと笑って、「そう。こんにちの新しい発明が無ければいけない。」と無雑作に答えたが、越後も、ちょっと、あなどりがたい事を言うと思った。
さらに嵐の日に塾生同士で蝋燭の火を中心に自由主義者について語り合う場面があります。
ここでひばりは自由思想の元はキリスト教にあるという越後獅子の考え方、そして江戸時代にも自由思想的な物はあった、というお話を聞きます。
「天皇陛下万歳! この叫びだ。昨日までは古かった。しかし、今日に於いては最も新しい自由思想だ。
ひばりはおとなで古い人間であるはずの越後獅子から、「自由思想の内容は、時々刻々に変」り、「新しい・古い」は時代により変わるものだという新鮮な思想を学びました。
このようにして徐々に、新しさというものが世代によるものと限らないということにひばりは気づいていったのだと思います。
「口紅事件」の時は越後獅子のことをさらに評価するようになったのか、このように言っています。
「桜の間」は、越後獅子の人徳のおかげか、まあ、春風駘蕩の部屋である。
女性は古い?新しい? すべての女性に「新しさ」を見るひばり
そして恋愛を通じて、女性に対する新しさについても考えています。
マア坊・そしてさらに戦争を過ぎたすべての女性に新しい女らしさを感じる場面があります。
僕は、途で逢う女のひとの顔をいちいち注意して見て、程度の差はあるが、いまの女のひとの顔には皆一様に、マア坊みたいな無慾な、透明の美しさがあらわれているように思われた。女が、女らしくなったのだ。しかしそれは、大戦以前の女にかえったというわけでは無い。戦争の苦悩を通過した新しい「女らしさ」だ。何といったらいいのか、鶯の笹鳴きみたいな美しさだ、とでもいったら君はわかってくれるであろうか。つまり、「かるみ」さ。
ここでは、ひばりは「すべての女性の新時代における新しさ」を感じました。
「新しさ」は自分の専売特許ではない
これらのことからすでにひばりは、新しさは思想自体には無く変わって行くこと・また一旦すべてのものを捨てた戦後のこの時代で「多くの人が新しい」ということを考えつつあったのだと思います。みんなが新しいなら、自分の新しさをことさらに言うのはおかしなことです。
だからひばりは恥ずかしくなり、「新しい男」という看板を降ろそうと感じました。
この、「自分だけが特別ではない」と感じるのは青年期の成長の過程だと思います。
一見何もかも無くなった時代に多くの人が新時代の新しさを得ている、そのことに気づき、青年は成長する。
『パンドラの匣』はそのようなことを描いた小説だと思います。
物語の最初と最後を繋ぐ蔓
ここまで、ひばりの性格とその成長、時代の変化の描き方について見てきました。
そして、この物語の最初と最後には、日に当たる蔓の描写が対比されるように出てきます。
最初はこちらです。
楽観論やら悲観論やら、肩をそびやかして何やら演説して、ことさらに気勢を示している人たちを岸に残して、僕たちの新時代の船は、一足おさきにするすると進んで行く。何の渋滞も無いのだ。それはまるで植物の蔓が延びるみたいに、意識を超越した天然の向日性に似ている。
そしてラストはこうなります。
この道は、どこへつづいているのか。それは、伸びて行く植物の蔓に聞いたほうがよい。蔓は答えるだろう。
「私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当るようです。」
最初の文章では、「本能的に蔓は日に向かう。だから間違わない。大丈夫」ということを言っていますが、最後の文章は「伸びて行けば蔓に向かって自然と陽は当たるようにしてくれる。だから大丈夫」ということを言っています。
「本能として進むだけで大丈夫」と言っていることだけでも十分優しさを感じるのに、ラストではそれをさらに「たとえ本能が弱っていたとしても日は当たるから大丈夫」という文章にしています。
この文章には太宰治のやさしさがとても良く出ていると思いました。
まとめ
このように『パンドラの匣』は、主人公のひばりの成長を通して、戦争中に一旦何もかもが無くなった後に「多くの人が新時代の新しさを得る希望」を描いた作品だと言うことができます。
また、物語の最初と最後に出てくる「蔓」には、太宰治の優しさが感じられます。
元となった『雲雀の声』ですが、今は作品が残っていないので、それがどのような小説だったのかはわかりません。
ただ「『パンドラの匣』が『雲雀の声』から加筆修正されたこと」、「それぞれのタイトルの意味」、そして「ひばりの性格の二つの特徴」などから、
『雲雀の声』(高みを求めるひばり)
高尚さを大事にして恋愛を恐れる青年期の主人公ひばりの恋愛物語
『パンドラの匣』(『雲雀の声』+新しさを求めるひばり)
戦後のいままでの価値観がなくなって一旦からっぽになった中で、人が「新時代の新しさ」を感じあるがままでいれば希望があるとする物語
のような違いがあるかもしれないと思いました。
この小説を読んで、太宰治は普通の人は過ぎてしまうと忘れてしまうような年代の心境の変化を、描くのが上手い作家だと思いました。
『パンドラの匣』を読み直したいと思ったらこちら!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
パンドラの匣は2009年にも映画化されています。
この映画の
「やっとるか。」
「やっとるぞ。」
「がんばれよ。」
「よーし来た。」
の掛け声の軽さ、好きです。
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