『斜陽』は、1947年に雑誌『新潮』に発表された太宰治の代表作の一つです。
戦後没落していく貴族を書いた作品で、当時この作品から『斜陽族』という流行語が生まれるほどヒットしました。
六年間思い続けた人を老猿と言ったり、そうかと思うと恋しいと言ったりと、主人公のかず子の心の動きがわかりにくい作品だと思います。
ですので、ここでは主人公のかず子と弟の直治の姉弟のそれぞれの恋を丁寧に追うことで、かず子が得たもの、また、直治が得なかったものを考え、作品全体の考察をしようと思います。
ネタバレありの記事になりますので、ご注意ください。
『斜陽』基本情報
作品の成り立ち
『斜陽』は、当時太宰治が関係があった、太田静子さんの日記(斜陽日記)を元にした作品です。
作品の成り立ちについてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
太宰治『斜陽』のかず子にはモデル女性がいた。関連書籍を二冊ご紹介。
登場人物
かず子 | 主人公。元華族令嬢。不良になりたいと思っている。 |
かず子の母 | かず子や直治に「ほんものの貴族」と言われる。 |
直治(なおじ) | 主人公の弟。下品になりたいと思っている。 |
上原二郎 | 小説家。直治の師匠。妻と子供がいる。 |
要約
かず子の一家は貴族の出ですが、戦後の混乱で没落、屋敷を売却し、伊豆に引っ越してきました。けれどそこでも生活はさらに困窮していきます。母親が亡くなったことをきっかけに、かず子は六年前に出会い恋心をつのらせてきた上原二郎の元へ向かいます。六年前とあまりに違う上原の姿にかず子は愕然としましたが、二人は結ばれます。その時、弟の直治は自ら命を絶っていました。かず子は、私生児の母として強く生きることを決意します。
もう少ししっかり読みたいかたのために、こちらの記事では、3分(1700字)程度で読めるあらすじをまとめています。
ここからは、実際の小説の本文と照らし合わせをしつつ、個人的な考察をしています。
最後までのネタバレになりますのでご注意ください。
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考察
結論から言うと、この作品は上流貴族の没落という出来事の中から、「消えていくもの美学」と「生きていく人間のつらい姿」の両方を描いた作品だと思います。
そしてそれは、直治とかず子という2人の姉弟のそれぞれ辿った道に示されています。
先に少し眼を通しておくとわかりやすいかもしれないので、これからの話を図にしたものを置いておきます。
似ている姉弟・かず子と直治
かず子と直治は姉弟なので、育った環境は同じです。
2人は、現実の生活能力がない、という点で一致します。
この作品は、かず子の一人称で書かれているので、ところどころかず子の「私は何だってできる」という声が見られますが、それはかず子の主観で、全体的にかず子は世間知らずのお嬢様という書かれ方をしています。
貧乏って、どんな事? お金って、なんの事? 私には、わからないわ。(第二章)
ふと、私の胸の中に、リアリズムという言葉と、ロマンチシズムという言葉が浮かんで来ました。私に、リアリズムは、ありません。こんな具合いで、生きて行けるのかしら、と思ったら、全身に寒気を感じました。(第四章)
そして、弟の直治も自身に生活能力がないことを完全に認めています。
僕には、所謂、生活能力が無いんです。(第七章)
生活能力がないにもかかわらず、人にたかる事さえ出来ない、という点も、エピソードが一致しています。
六年前にかず子が上原と飲んだ場面では、上原が支払いをしようと店員を呼びましたが、かず子がお金を持っていると告げ、かず子が支払いを済ませます。
また第七章で、直治はいつも自分の分の支払いは自分で払ってきたと語っています。
飲んだ相手も同じ上原で、支払いはこちらが持つという同じ対応です。
そして自分がどうなりたいと思っているか、という点でも類似がみられます。
かず子は第四章で、「不良になりたい」と言い、直治は第七章で「下品になりたい」と言っています。2人とも生き方を、「不良」や「下品」など、「間違っている」と思われるような状態に落として、今の自分から外れたものに変えて生きていこうと考えてます。
これらのことから、2人は似た人物として書かれていることがわかります。
共通点がある2人の恋愛
2人の恋愛も同じ立場が設定されています。
2人とも相手は既婚者であり、相手に伝えない間に思いを深めています。
しかも、かず子の相手は上原で、直治の相手のスガちゃんは上原の妻です。
男と女の違いはありますが、同じ条件を設定していることがわかると思います。
スガちゃんは誰か
ここで少し、直治の恋愛の相手の「スガちゃん」について捕捉しようと思います。
スガちゃんは直治の遺書の中から、
- かず子はたぶん逢ったことが無い。けれども知っているはずと直治は言っている。
- 年齢がかず子より少し年上。
- お嬢さんがいる。
- その夫は貴族気質をいやらしいと言っている。
- 直治がしょっちゅう飲みに行く相手の奥さん。
ということがわかります。
かず子は直治の交友関係に詳しそうではありません。
その中で直治が「かず子が逢ったことが無くてたぶん知っている」という相手となると、6年前に借金のことで会いに行ってもらった相手=上原の関係者になり、上原の奥さん、ということになります。
かず子が育てた第一の恋愛の終わり
似た二人の似た恋愛が書かれたこの小説ですが、直治は命を絶つことを選び、かず子は生きていく道へ向かいます。
ここからはその違いが生じた理由が何かを考えていきます。
まず、直治の恋愛ですが、伝えることなかったのでそのまま終わっています。
それに対してかず子は、手紙を出し、上原を押しかけるという行動に出ます。
では、その行動力が、かず子を変える力になったのでしょうか。
かず子の行動の最初の結果は、ここです。
これが、あの、私の虹、M・C、私の生き甲斐の、あのひとであろうか。六年。蓬髪は昔のままだけれども哀れに赤茶けて薄くなっており、顔は黄色くむくんで、眼のふちが赤くただれて、前歯が抜け落ち、絶えず口をもぐもぐさせて、一匹の老猿が背中を丸くして部屋の片隅に坐っている感じであった。(第六章)
これはかず子の育ててきた、今までの恋の終わりを書いていると思います。
かず子の恋は六年の間に、きっかけとなったバーでの出来事と、上原の書いた小説などから作り上げた憧れが強いものです。
だからかず子は、この後、
おうどんの湯気に顔をつっ込み、するするとおうどんを啜って、私は、いまこそ生きている事の侘びしさの、極限を味わっているような気がした。(第六章)
という気分になり、2人で並んで歩いてキスをされても、「くやし涙に似ているにがい涙」を流します。
心が浮き立つところはありません。
この憧れが強い、会う前に育てていった恋愛は、ここで一旦終わっています。
なので、そのままかず子の生きていく力になったわけではないと思います。
憧れの恋愛からの変化・人間の根底にある悲しさ
上原とかず子は一夜を共にします。
いつのまにか、あのひとが私の傍に寝ていらして、……私は一時間近く、必死の無言の抵抗をした。
ふと、可哀そうになって、放棄した。(第六章)
この可哀そう、という言葉はポイントだと思います。
かず子の中に新しい考え方が育ってきていると思いました。
そのきっかけは、前の日の騒がしい飲み会で、かず子が感じた思いです。
ああ、何かこの人たちは、間違っている。しかし、この人たちも、私の恋の場合と同じ様に、こうでもしなければ、生きて行かれないのかも知れない。人はこの世の中に生れて来た以上は、どうしても生き切らなければいけないものならば、この人たちのこの生き切るための姿も、憎むべきではないかも知れぬ。生きている事。生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業であろうか。
(第六章)
かず子は、彼らの酒盛りの姿を、つらい現実を乗り越えるための姿で自分と同じと感じるようになっています。
その後、上原は並んで歩いている時や明け方に自分の持つ「悲しさ」について語ります。
駄目です。何を書いても、ばかばかしくって、そうして、ただもう、悲しくって仕様が無いんだ。(第六章)
死ぬ気で飲んでいるんだ。生きているのが、悲しくて仕様が無いんだよ。わびしさだの、淋しさだの、そんなゆとりのあるものでなくて、悲しいんだ。(第六章)
かず子は、人の悲しさについて受け入れを始めています。酒を飲んで騒いでいるといったような状態も、つらい現実を乗り越えようと足掻いている姿だととらえるようになります。「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業」です。こう思えたかず子は、一旦は「老猿」と思えた上原のわびしい姿が、その結果だと感じるようになります。
疲れはてているお顔だった。
犠牲者の顔。貴い犠牲者。
私のひと。私の虹。マイ、チャイルド。にくいひと。ずるいひと。
この世にまたと無いくらいに、とても、とても美しい顔のように思われ、恋があらたによみがえって来たようで、胸がときめき、その人の髪を撫でながら、私のほうからキスをした。(第六章)
そして、それが失なわれた恋を新たな形で戻させることになるのです。
「かなしい、かなしい、恋の成就」とは
ここで、
かなしい、かなしい、恋の成就。(第六章)
という言葉が入ります。
この「かなしい」はひらがなで書かれています。
それは、自分を悲しく思う「悲しい」ではなく、第二の恋愛が成就したことを示しているからです。
漢字で書くと「哀しい」で、人をあわれに思う気持ちです。
かず子の憧れとも言える第一の恋愛は、上原の今の老猿とも言える姿を見ることで終わりを迎えました。「私のその恋は、消えていた。」と、この部分の直前でかず子が語った恋の事です。
そして、別の種類の恋が生まれました。かず子の第二の恋愛は、相手の「悲しさ」を受け取ることから感じる「哀しさ」で、「哀れ」と思う愛おしさです。
この、上原の悲しみを受け止めた第二の恋愛「かなしい=哀しい」が、ここで成立しています。
そのことから、この恋の第二の恋が成就する場面はひらがなが使われているのだと思います。
かず子の生きる力・新生する太陽
かず子は第二の恋愛で、生きていく中には悲しみが底にあって、自分達だけではなくて、人はみなつらい中を必死に生きている、ということを感じました。「生きている事。ああ、それは、何というやりきれない息もたえだえの大事業」です。
この第二の恋愛から得た気づきが、かず子の生きて行く力になったのだと思います。
上原とかず子は朝を迎えますが、朝を感じているのはかず子だけです。
「でも、もう、おそいなあ。黄昏だ」
「朝ですわ」(第六章)
新たな気づきを得て、かず子は生まれ変わりました。
斜陽は、沈んでいく太陽のことです。この小説では没落する貴族を表しています。
けれど、太陽は朝、生まれ変わるようにして昇ってきます。
このタイトルは、一旦没落したかず子が、新たな気持ちを得て新生することを示しています。
かず子は、やりきれない現実の中をみんな生きているけれど、私も生きて行こう、という思いになったのだと思います。
直治との比較
ここで直治に戻ります。直治は自ら命を絶ちました。
遺書の中で上原の行動について直治が語る部分があります。
ただ、遊興のための金がほしさに、無我夢中で絵具をカンヴァスにぬたくっているだけなんです。
そうして、さらに驚くべき事は、あのひとはご自身のそんな出鱈目に、何の疑いも、羞恥も、恐怖も、お持ちになっていないらしいという事です。(第七章)
つまり、あのひとのデカダン生活は、口では何のかのと苦しそうな事を言っていますけれども、その実は、馬鹿な田舎者が、かねてあこがれの都に出て、かれ自身にも意外なくらいの成功をしたので有頂天になって遊びまわっているだけなんです。(第七章)
直治は、上原の行動から、すべての人間の底にあるような悲しさは見てはいません。
没落貴族の自分の苦しさは痛いほど感じていても、そもそもすべての人間が息も絶え絶えで生きているとは考えていないのだと思います。
そこがかず子との違いであり、2人の未来を分けたものだと思います。
上原の奥さんに子供を抱かせる意味
第八章で、かず子は自分の生んだ上原の子を、直治の秘めた恋愛の相手だった上原の奥さんに、直治の子として抱かせることをお願いしています。
最後にその行動の意味について考えてみました。
「これは、直治が、或る女のひとに内緒で生ませた子ですの」
なぜ、そうするのか、それだけはどなたにも申し上げられません。いいえ、私自身にも、なぜそうさせていただきたいのか、よくわかっていないのです。でも、私は、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。直治というあの小さい犠牲者のために、どうしても、そうさせていただかなければならないのです。(第八章)
ここで考えられるのは、
- 直治が好きだった相手に、少しでも直治の印象を残したい
- 直治もこの世に何も残せなかったわけではない、ということにしたい。
- 家庭を壊す気はないけれど、上原の奥さんに上原の子供を知らずに見せつけて、私にも上原さんの子供がいると優越感に浸りたいし、上原さんも少しビクビクさせたい。
などが考えられると思いますが、直治の遺書の中に
姉さんはそれを知っても、別段、誰かにその事を訴え、弟の生前の思いをとげさせてやるとか何とか、そんなキザなおせっかいなどなさる必要は絶対に無い(第七章)
とあることから、逆に、「弟の生前の思いをとげさせてやる」ことがしたくての行動かと思いました。
直治の悲しみを哀れに受け取ったかず子なので、その思いをどうにかしたいと思ったのだと思います。
かず子は「こいしいひとの子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成」と考えています。
なので、奥さんに直治の子を生ませることは無理だとしても、「直治の子供を、直治の好きだった人が抱えている」という道徳革命の完成図に近い絵を作ることで、直治の恋愛が成就している様子が作りたかったのかもしれません。
ただ、これは、かず子自身も「よくわかっていない」と言っているように、かなり複雑なものが混じったよくわからない気持ちと考えられます。
まとめと感想
このことから『斜陽』は、没落貴族のかず子の恋愛の変化を通して、人間が必死で生きていくこと、について考えさせる物語だと思いました。
ただ、この考察では、直治の考えを否定してしまったようにも見えますが、彼の
人間は、みな、同じものだ。
なんという卑屈な言葉であろう。人をいやしめると同時に、みずからをもいやしめ、何のプライドも無く、あらゆる努力を放棄せしめるような言葉。(第七章)
という部分は確かにと思いました。
みんな同じと言い切るのは、その人それぞれが努力して持ってきたものを認めていないです。
直治の場合は、文字通りの「みんな同じ」を表しているのに対して、かず子の感じたのは「人間の底に流れる悲しみは、みんな同じ」だと思うので、直治の言う事も納得できます。
『斜陽』はかず子と直治の両方の眼を通して、「生きて行く人間の辛さ」と「消えていくものの美学」の両方が書かれている作品だと思います。
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