宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』は不思議な部分があると思いませんか?
あれだけ練習した演奏会当日のみんなで弾いている部分は文章で描かれないし、最後はゴーシュはかっこうには謝るけれど猫には謝りません。
ネコちゃん…
今回はそのことと『セロ弾きのゴーシュ』のテーマについて、大学で近代文学をやっていた私が、がっつり考察してみました。
ただ結構長いので、もし最後のセリフと猫に謝らない理由だけが気になるという方は、目次から「最後のセリフの意味 かっこうに謝る理由・猫に謝らなかった理由」に飛んでご覧ください。
けれど、そこだけだと「ゴーシュひどい…」と感じると思うので、全部読んでいいよと思ったかたは、最初から読んでいただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします!
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基本情報
作者について
1896年8月27日 – 1933年9月21日(享年37歳) 岩手県花巻市出身
日本の詩人、童話作家。仏教(法華経)信仰と農民生活に根ざした創作を行った。彼の作品は生前ほとんど一般には知られず無名に近く、没後、草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となっていき、今でも日本には広く愛好者が存在する。
Wikipediaより抜粋
『セロ弾きのゴーシュ』基本情報
作 者 | 宮沢賢治 |
執筆年 | 1931年頃 (諸説あり) |
発表年 | 1934年(賢治が亡くなった後) |
ページ数 | 23ページ (AmazonのKindle青空文庫版による) |
セロ弾きのゴーシュのあらすじ
あらすじについては、こちらのページで短いものと長いものを載せています。
もし、全文読みたいと思ったかたは、こちらからどうぞ。
ここからは、実際の小説の本文と照らし合わせをしつつ、個人的な考察をしています。
最後までのネタバレになりますのでご注意ください。
考察
まとめると、宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』は
主人公のゴーシュが動物との4日間の触れあいにより、「音楽技術」と、それ以上に大切な「音楽世界」や「自分の音と個性」について気づき、そこに自信を持ち、音楽家として成長する物語
だと思います。
これから作品本文を見ながら解説します。
ゴーシュの2つの到達点 合同演奏とソロ演奏
ゴーシュは町の映画館でチェロを担当している若者です。
そして音楽会の合奏でうまくいくことを目的にして、練習しています。
けれどセッション自体は物語では終了後があっけなく描かれ、演奏自体は描かれていません。
代わりに大きく取り上げられるのは、ゴーシュがアンコールのソロで「印度の虎狩」を弾く場面です。
これはストーリー的におかしくないでしょうか。目標は合奏の成功だったはずで、ソロの部分は必要でしょうか。
ここを知るために、まず「合同演奏が成功した理由」と「ソロ演奏が成功した理由」を分けて考えてみようと思います。
1つ目の成功 音楽会の合同演奏
楽長から指摘されるゴーシュの問題点
音楽会の合同演奏で問題になる部分は、冒頭で楽長からはっきりと言われています。具体的なゴーシュの問題点は次の4つです。
- セロがおくれた。
- 糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはない。
- 表情ということがまるでできてない。怒るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ない
- ぴたっと外の楽器と合わない
①と④は「リズム」について、②はドレミファなので「音階」について、③は音の表情「感情表現」について言っていると思います。
これらのことがうまくできないゴーシュは、演奏会で足を引っ張りそうだと楽長から考えられています。
楽長の指摘 | 問題の要点 |
---|---|
セロが遅れる | リズム |
ドレミファが出来ていない | 音階 |
音に表情が無い | 感情表現 |
外の楽器と合わない | リズム |
動物の訪問による「音階」「リズム」「感情表現」の解決
そしてゴーシュの元に来た動物たちは、それらの解決方法を教える役割を持っています。
かっこうはドレミファなので「音階」、子だぬきは太鼓なので「リズム」、三毛猫の訪問によりゴーシュは曲に怒りを込める「感情表現」を学んだということになります。
これらの音楽の技術を手に入れることにより、ゴーシュは音楽会の合同演奏で成功しました。
ここまででも、ゴーシュの合同演奏がうまくいくストーリーとしては出来上がっていると思います。
ゴーシュは楽長の告げる合同演奏の問題点を、動物から「音楽技術」を学ぶことでクリアした。
2つ目の成功 アンコールのソロ演奏
けれども物語はソロ演奏へとさらに続きます。そして何度もいうように演奏会での合同演奏よりも、ソロ演奏の成功の方に力を入れて描いています。
ゴーシュのソロ演奏が成功した理由はなんでしょうか。合同演奏と同じ「音楽技術」でしょうか。
それははっきりとは描かれていませんが、私は
- ゴーシュの性格や問題点
- 動物の訪問で演奏した曲
- 動物それぞれの特徴
- ゴーシュが感じたこと
などをみることで分かると思います。
ゴーシュの性格 「荒々しさ」「ごうごうがあがあ」「心の中の火を鎮める水」
ゴーシュの荒い性格
『セロ弾きのゴーシュ』を読むと、ゴーシュが思ったより荒々しいことに驚くと思います。
1日目の三毛猫はもちろんのこと、ネズミを治してやろうと思った4日目でも気持ちの優しさはありますが、
いきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔から中へ入れてしまいました。
と、乱暴です。ゴーシュは繊細さに欠けた雰囲気があります。
ゴーシュの強いセロの音
ゴーシュの性質は、「ごうごうがあがあ」と表現されるセロの音からもわかります。
宮沢賢治の作品では「ごうごう」は山や風や水の持つ大きなイメージ、「があがあ」は鳥や蝉や林など騒がしい様子に使われています。
なので「ごうごうがあがあ」なゴーシュのセロは、乱暴で強くて大きいイメージです。
水をごくごくのむゴーシュ
そして、ゴーシュは作中で最初から最後まで、何度も水をごくごく飲んでいます。
いきなり棚からコップをとってバケツの水をごくごくのみました。
冒頭では楽長から叱責されてめそめそしていましたが、ゴーシュは本当は心の中に火を燃やしている様な、強さと荒々しさと一直線の情熱のあると思います。
だから、演奏は「ごうごうがあがあ」で、心の中の炎をなだめる為にも水を飲みます。
最後のアンコールでも一日目の猫に対してと同じように怒りの気持ちから「印度の虎狩」を弾き、水を飲んでいることを考えると、その性質は最後まで変わっていないということがわかります。
ゴーシュは強さと荒々しさと一直線の情熱がある、少し乱暴な人物
ゴーシュの根深い問題点「人の音を聴かない」「この曲のことしか考えていない」
ただ、ゴーシュのそんな一心不乱さは、今のところうまく働いていません。
ゴーシュが演奏している場面で次の描写があります。
眼を皿のようにして楽譜を見つめながらもう一心に弾いています。
ここではゴーシュは楽譜しか見ていません。
また、夜の1人での練習の場面は次のように描かれています。
虎みたいな勢いでひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました
ここでも譜面からすべてを考えようとし、一心不乱で余裕が無く、周りを見ようとしないゴーシュの性格が出ています。
そして、ゴーシュは同じ曲ばかり弾き、この曲をどうにかすることしか考えていないということもわかります。
このようなゴーシュの描写は、今目の前にある曲のことを考えている技術中心の訓練ばかりで、音楽家として幅の狭さを感じさせます。
ゴーシュが考えているのは目の前の楽譜のことだけで、からまわりしている感じがある
動物の訪れによりゴーシュが得たもの① - 様々なジャンルの音楽
そんなゴーシュの元に動物が訪れます。
そして、これらの動物がきっかけでゴーシュにもたらされた音楽は、ゴーシュが今まで学んでいたような代表的なクラッシックとは違う音楽に設定されています。
(1日目)三毛猫 トロイメライ→印度の虎狩
三毛猫がリクエストしたトロイメライはシューマンの作品で、とてもゆったりとしたクラッシックです。
こちらはヴァイオリンでの演奏ですが、参考として載せておきます。
\再生すると音が出ます!音量調節機能はありません!注意!/
この「トロイメライ」を、ゴーシュは弾きませんでした。
代わりに弾いたのが「印度の虎狩」です。
「印度の虎狩」は具体的にどんな曲かはわかっていませんが、物語の最後で楽長が
あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ
と「あんな曲」と言っているように、楽長が普段聴いている様な曲ではないことが示唆されています。
ゴーシュは猫との出会いから、普段弾かないような曲を自分の記憶から引きだしました。
(2日目)かっこう ドレミファ
かっこうのドレミファも具体的な音は難しいですが、かっこうの鳴き声から考えると人間のドが1音なのに対して、かっこうのドは2音以上の繋がりになっているとは思います。
そしてゴーシュは弾いているうちにこのように考えます。
えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか。
ゴーシュは人間とは違うかっこうのドレミファを真剣に弾くことで、自分の音楽が鳥の諧調に染まってしまう怖さを感じています。
(3日目)子たぬき ジャズ 愉快な馬車屋
子だぬきの持ってきた曲は『愉快な馬車屋』というジャズです。
ゴーシュはこの曲を見て、このように考えます。
ふう、変な曲だなあ。
ゴーシュは子だぬきとのセッションを楽しみます。
この曲は明らかに、クラッシックとは違います。
(4日目)野ねずみのおやこ 何とかラプソディ
野ねずみにゴーシュが弾いてあげた曲は『何とかラプソディ』です。ゴーシュが自ら選んだ曲です。
ラプソディは日本語では「狂詩曲」といい、Wikiではこのような定義が書かれています。
狂詩曲(きょうしきょく)またはラプソディ(英: rhapsody、独: Rhapsodie、仏: rhapsodie、伊: rapsodia)は、自由奔放な形式で民族的または叙事的な内容を表現した楽曲。異なる曲調をメドレーのようにつないだり、既成のメロディを引用したりすることが多い。
クラッシックですが、非常に自由な曲調が特徴です。
このように動物が訪れる4日間の音楽は、ゴーシュが今まであまり触れてこなかったジャンルに設定されています。
動物が訪れる4日間の音楽は、ゴーシュがあまり触れてこなかったジャンル
「普段触れない音楽に触れる」は「自分の音楽を知る」こと
では、「普段触れない音楽に触れる」ということは、どのような効果があるでしょう。
普段触れない音楽に触れることは、自分の音楽を考えることなります。
現にゴーシュはかっこうとのセッションでは、相手の諧調を弾くことで自分の音楽の揺らぎを感じていました。
つまりゴーシュにとって様々な音楽の種類に触れることは、逆に自分の音楽や特性について考える訓練にもなっています。
ゴーシュは様々な種類の音楽に触れ、自分の音楽や特性について考える
動物の訪れによりゴーシュが得たもの② - 音楽家の姿・観客への態度
また、訪れた動物である三毛猫・かっこう・子だぬき・野ねずみは2種類に分けられます。
自分も「音楽家」のかっこうと子だぬき、自分は演奏しない「観客」の三毛猫と野ねずみです。
音楽家の二匹 音楽を追求する苦しさと楽しさ
かっこうはストイックな音楽家です。ドレミファを正確に歌うという目標をたて、血が出るまで歌い続けると語ります。
逆に子だぬきとのセッションは楽しく、いつの間にか朝になりました。
かっこうと子だぬきは、音楽家の苦しさや楽しさを伝える対比になっている。
観客の二匹 観客の好みか、演奏者の個性か
三毛猫と野ねずみは自分では演奏しない観客です。
三毛猫は、自分の聴きたい曲をゴーシュに弾くように求めてきました。
トロイメライはゴーシュの個性に合わないゆったりとした曲です。ゴーシュはそれを拒否します。
野ねずみも曲を弾くようにゴーシュに求めてきましたが、それはゴーシュの個性を見込んでのお願いです。
ゴーシュは自分の音が「ごうごうがあがあ」であるからこそ、それがそのまま動物の役に立っていたことを野ねずみにより知りました。それはゴーシュの自分の音への自信にもつながりました。
おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか
かっこうと子だぬきの音楽家が対比になっているように、三毛猫と野ねずみの観客も対比になっていると思います。
この二匹は、音楽家など芸術家の態度「観客に合わせることが目的ではなく、自分にしか出せない音や個性を一番大事にする」ということを告げるものになっていて、それが結局は観客のためになると言っているように思います。
三毛猫と野ねずみの観客は、音楽家の「自分にしか出来ない自分自身の音楽世界を追求する」という姿勢の大切さを伝えている
動物の訪問による「音楽世界」の広がり
つまり動物たちは目先の「音楽技術」だけでなく、この4日間でゴーシュに
・音楽の世界の幅広さ
・音楽家の苦しさ楽しさ
・自分の個性を大事にする音楽家の心構え
を与えた
と言えると思います。
このことが、いきなり降ってわいたアンコールでのゴーシュのソロ演奏を成功させた理由であり、しかも、この作品内では合奏演奏の成功がほとんど描かれずソロの描写が多い「合奏演奏<ソロ演奏」の状態になっていることから
音楽技術よりも、音楽の世界を知る事がゴーシュにとって大切だった
と言っているように思います。
最後のセリフの意味 かっこうに謝る理由・猫に謝らなかった理由
それでは最後の場面で、ゴーシュがかっこうには謝って猫には謝らないのはなぜでしょうか。
ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。
いままで考察したことを踏まえて、最後にこの疑問について考えてみます。
かっこうに謝る理由
かっこうは情熱のある音楽家です。
ゴーシュはあの時、かっこうの音楽に付き合うことで自分の音楽の土台が揺らぐのではないかと怖くなっていました。
ゴーシュはその怖さを打ち消そうとし、かっこうに乱暴なことを言い、わざと追い出します。
なのでこの感情の底に在るのは、本当は怒りではなくて「自分の音楽がかっこうの音楽に染まってしまう怖さ」です。
けれどその後、4種の動物に感性を広げてもらい、いまや音楽家になったゴーシュは、かっこうを怖がっていた自分を素直に認めることが出来ています。これはゴーシュが音楽家として成長した証拠とも言えます。
猫に謝らない理由
猫は音楽家ではなく観客です。
そしてあちらから『トロメライ(トロイメライ)』を演奏するように求めています。
この曲はゴーシュの「ごうごうがあがあ」の特性には全く合わない、穏やかなゆったりとした曲です。
猫は「印度の虎狩」を聴いて暴れている時に、このように言って謝ります。
これからもう先生のタクトなんかとりませんから。
タクトは指揮棒ですが、ゴーシュは指揮者ではありません。なので、ここの「タクトをとる」は「音楽の指導をする=音楽の方向を指示する」という意味だと思います。猫はゴーシュの音楽の方向を指図したことを謝っています。
つまり観客である猫が、ゴーシュの「ごうごうがあがあ」の個性を無視して音楽の指示をしたことを、ゴーシュは怒っているのだと思います。
4日目にゴーシュは野ねずみのお願いに応えて今度は演奏します。片方ではお願いに応えて、片方ではお願いに応えていないように見えますが、野ねずみのお願いは、ゴーシュの音楽の個性「ごうごうがあがあ」自体を求めていたものです。
「ゴーシュがこの4日間で穏やかな性格に成長したから演奏した」ということも考えられますが、ゴーシュは最後まで水をごくごく飲み、アンコールの「印度の虎狩」は怒りに任せて弾き、そしてなにより最後で猫には謝りません。穏やかに成長したのだったら、初日の出来事を後悔し、最後の日にかっこうと同時に猫にも謝るはずです。
ゴーシュは自分の乱暴な個性を残し、それに自信を持つことで、音楽家として成長しています。
この物語は「音楽家は第一に聴く人のことを考えて演奏すべき」という物語ではないと思います。
音楽家が観客を大切にするよりも、自分の個性というものを追求して磨いていくことを、この物語では重要視していると思います。
猫のリクエストに応えるために自分の個性を曲げるのは、この物語の中では音楽家の本当の姿ではないのです
まとめ
今回は、宮沢賢治『セロ弾きのゴーシュ』について考察しました。
『セロ弾きのゴーシュ』は、クラッシックのチェロ演奏家であるゴーシュが、動物たちのさまざまな音楽に触れ、自分とは違う音を聴くことから2つの成功を得た物語です。
ゴーシュは動物たちから音楽技術について学びます。
けれどもそれ以上に「音楽世界」や「自分の音と個性」について気づかされ、さらには自信も与えられました。そこからゴーシュは音楽的に成長し、ソロでも成功します。
宮沢賢治は、自然について詳しい科学の教師です。
彼は自分でも
私は詩人としては自信がありませんけれども、一個のサイエンティストと認めていただきたいと思います。
草野心平宛の書簡 より
と語っています。
ゴーシュの荒々しい音は、そのままで動物の役に立っていました。
このことからこの物語は、人間も激しかったり穏やかだったりそれぞれの個性はあるけれども、それをお互い尊重しつつ繋がりあい役に立つ方法があると言っているように思います。
それは、科学者である宮沢賢治が、自然の中でそれぞれの動物がそれぞれの個性を生かして繋がり合い生活をしていることを知っているからこそ、生まれた考えのように思います。
この藤城清治さんの影絵のゴーシュがイメージに近くてとても好きです。
眉が吊り上がっていて、顔が細くて、不器用だからか靴紐がいつもほどけてる。
高校生ぐらいの時にこういう男子がいたような気がします。
感想
…………………
とはいえ、猫に対してはあまりにひどいと私も思っているんですけどね…
ここで没にした画像を載せてもいいでしょうか。
なんでこんなに猫に対して怒るのかなーと考えていた時に、猫が言った「もうタクトなんかとりませんから」を、「もうメトロノームなんか盗みません」と解釈して作った画像です。
メトロノームの棒って「タクト」って言うそうです。猫にメトロノーム。想像すると楽しくないですか?
ネコチャン………
でも、当時は高かったみたいだし、それだとさすがに「タクト返せ!」と言いそうなのでこの考察は無しにしました…
『セロ弾きのゴーシュ』を全文読み返したいと思ったかたはこちら!
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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大切にしたいシールです。文学好きへのちょっとしたプレゼントにもぴったり。
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