『どんぐりと山猫』は1924年(大正13年)に発表された宮沢賢治の童話作品です。
主人公は、かねた一郎という小学生です。
彼は黄金色の世界に招待され、山猫がてこずっていたどんぐりたちの裁判を手伝います。
どんぐり裁判の言い争いの内容はまさに「どんぐりのせいくらべ」。
「自分がえらい」とみんなでわいわいがやがやして手が付けられないどんぐり達。それを一郎が次の言葉で解決します。
そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。
これを聞いてどんぐり達はだまってしまいました。
一郎の言葉で、3日終わらなかった裁判が終わりました。
ただ、一郎のこの教訓めいた言葉は、物語全体にきちんと浸透しているでしょうか。
一郎が言ったのは、たぶん「えらいにこだわるべきではない」ということです。
けれどストーリーを読むと、山猫と馬車別当は「えらい」と思われたい人物に描かれています。
宮沢賢治は、「えらい」を否定するような一郎の言葉と一緒に、なぜ「えらいと思われたい」登場人物をわざわざ描いているのでしょうか。
このブログでは一郎の判決だけをみるのではなく、当時の宮沢賢治の状況や、「一郎の言葉と黄金色の世界が矛盾すること」「どんぐりが金色から茶色になってしまうこと」など物語のストーリーを見ることで、『どんぐりと山猫』執筆当時の宮沢賢治の考えを探っていきます。
かわいいどんぐり達ですが、けっこうガチに考察をしています
- 『どんぐりと山猫』のストーリー全体を見た上での考察
- 宮沢賢治が『どんぐりと山猫』で描きたかったこと
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『どんぐりと山猫』基本情報
『どんぐりと山猫』基本情報
作 者 | 宮沢賢治 |
制作年月日 | 1921年(大正10年)9月19日 ※初版本の目次の制作日付より |
発表年 | 1924年(大正13年) |
初出書籍名 | 「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」盛岡市杜陵出版部・東京光原社 |
ページ数 | 14ページ (AmazonのKindle青空文庫版より) |
【当時の宮沢賢治の状況】
『どんぐりと山猫』の執筆年月とされる1921年9月は、宮沢賢治が農学校の教師を目指している最中です。
そして1921年12月に、賢治は稗貫郡立稗貫農学校(のちの県立花巻農学校)教諭に就任しました。
宮沢賢治の推敲癖は有名です。
宮沢賢治が教師になったのは『どんぐりと山猫』の制作月より後の12月ですが、実際にこの作品を発行するまでの間に、教師としての実際の経験をさらにこの作品に込めたことも想像できます。
『どんぐりと山猫』の登場人物
- かねた一郎……主人公の男の子。尋常小学校の3~4年ぐらい
- 山猫……裁判長。陣羽織や黒い長い繻子の服を着て堂々とした紳士風の猫
- 馬車別当…山猫の部下。馬車を運転する係。奇体な片眼の男
- どんぐり達…赤いズボンを履いた金色のどんぐり。自分はえらいと言い合っている
『どんぐりと山猫』のあらすじ
あらすじについては、こちらのページで短いものと長いものを載せています。
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ここからは、実際の小説の本文と照らし合わせをしつつ、個人的な考察をしています。
最後までのネタバレになりますのでご注意ください。
考察
結論から言うと、『どんぐりと山猫』は
当時教師を目指していてその後先生になった宮沢賢治が、「うまく行かなかった教育」を描くことで、逆説的に「自分がどのような教師になるべきか」を模索した作品
で、あり
教育の難しさ
が大きなテーマになっていると思います。
それを、
・この物語が寓話(教訓話)の作りをしていない(一郎の標語が物語全体を貫いていない)
・『どんぐりと山猫』は「いまの学童たちの内奥からの反響」という宮沢賢治の言葉
・黄金色のどんぐりがただのどんぐりになるラスト
などから考察します。
順位づけにこだわる黄金色の世界
まず、一郎の言葉と、一郎の訪れた「黄金色の世界」を比べるために、黄金色の世界の状況についてまとめてみます。
登場人物の山猫・馬車別当にははっきりと順位付けがされています。
登場人物の中でその頂点にいるのは山猫です。
馬車別当は、山猫の配下にいることを誇りに思い、満足して順位に従っています。
知識があると思われたい馬車別当
馬車別当は、山猫の配下にいる人物です。
配下にいる人物なので、「えらい」にこだわっていないかというと、そんなことはありません。
男は急にまじめになって、「わしは山ねこさまの馬車別当だよ。」と言いました。
馬車別当はえらい山ねこ「さま」の配下にいる自分に「えらさ」を感じています。
また、自分の知識が「小学校五年生」並みか「大学校五年生」並みか、という部分にもこだわっています。
ここには、「ばか」と思われたくない、大学校五年生と言われて嬉しがる馬車別当の姿があります。
つまり馬車別当には、一郎の言葉の「いちばんばかがいちばんえらい」との矛盾があります。
黄金色の世界で行われる山猫のマウント
そして山猫については、とくに順位を気にしている人物として描かれています。
山猫は出会ったばかりの一郎に対しても、まずマウントを取ります。
山ねこは、ふところから、巻煙草の箱を出して、じぶんが一本くわえ、
「いかがですか。」と一郎に出しました。一郎はびっくりして、
「いいえ。」と言いましたら、山ねこはおおようにわらって、
「ふふん、まだお若いから、」と言いながら、マッチをしゅっと擦って、わざと顔をしかめて、青いけむりをふうと吐きました。
山ねこは、「あなたは若者だ。自分はあなたよりも年上でいろいろなことを知っている」と最初に一郎に見せつけています。
そして最後の場面でも、山猫は順位付けにこだわっています。
一郎が裁判を解決した後、山ねこがこだわったのは今後一郎を呼び出す際の手紙の文面でした。
「それから、はがきの文句ですが、これからは、用事これありに付き、明日出頭すべしと書いてどうでしょう。」
山ねこは、「すべし」という命令口調にこだわります。
ここで読み取れる山ねこの気持ちは、一郎に言いつける形をとり、一郎の上に立ちたいというものです。
つまり『どんぐりと山猫』の世界は、登場人物たちが順位付けにこだわっている世界に設定されています。
・黄金色の世界の登場人物は「えらいにこだわる人々」に設定されている
寓話ではない『どんぐりと山猫』の世界
けれど、一郎の判決はそれと反対に「えらいにこだわるおかしさ」について語ったものです。
一郎の言葉と黄金色の世界の登場人物のありかたは矛盾しています。
教訓をストーリーとしてみせ、人を諭すような物語を「寓話」と言います。
例えば、イソップ童話の「ウサギとカメ」は「油断大敵・図にのってはいけない・一歩ずつ着実に」という教訓を表した「寓話」です。
だからウサギは最後に負けます。
『どんぐりと山猫』で、実はえらいにこだわっているのは、裁判しているどんぐり達だけではありません。
山猫や馬車別当も、えらいにこだわっています。
けれど山猫は、最後にひどい目に合うわけではありません。
つまりこのお話は「えらいにこだわるのはおかしい」のみを表現している寓話ではありません。
一郎の言葉を、全体のテーマとして考える必要はないと思います。
「えらいにこだわる」黄金色の世界の登場人物と、一郎の「えらいにこだわるのはおかしい」の判決は矛盾している。
→このお話で、「えらいにこだわるのはおかしい」の教訓は全体に広がっているテーマではない
学校に見立てられる登場人物たち
宮沢賢治は教訓を押し出しつつも、その教訓と登場人物の行動が矛盾する黄金色の世界を描いています。
ここからその理由を考えてみましょう。
その理由は、宮沢賢治自身の言葉がヒントになっていると思います。
『どんぐりと山猫』は、宮沢賢治の生前に発表された作品です。
その発刊の際には、ご本人の解説とも言える広告文が添えられていました。
『どんぐりと山猫』について書かれた部分はこちらです。
山猫拝と書いたおかしな葉書が来たので、こどもが山の風の中へ出かけて行くはなし。必ず比較をされねばならないいまの学童たちの内奥からの反響です
この、『いまの学童』という言葉から、宮沢賢治がこの舞台を学校に見立てていることがわかります。
宮沢賢治はこの作品を、学校の見立てとして考えている
どんぐり 山猫 馬車別当の役割
学校に見立てた場合の登場人物の役割について、もう少し詳しく見て行きます。
登場人物の学校としての細かい役割については、信時哲郎氏の論文が詳しいです。
どんぐり裁判について考えてみよう。ここでは裁判という言葉が連発されるわりに、厳粛さなどはおよそ見当たらず、どんぐりたちもみんな赤いずぼんをはいて<わあわあわあわあ>言っているというのだから、寧ろ明るくも騒々しい小学校あたりの教室を思わせる。<がらんがらん>と鳴らす鈴には、木佐氏も指摘するとおり、当時の子供たちならすぐさま学校を連想したはずだし、馬車別当の鳴らす鞭も、大正時代の詰め込み教育を描いたと言われる童謡「すずめの学校」(大10 清水かつら作詞)の<むちを振り振りちいぱっぱ>を思い起こさせる。(~略~)さしずめ山猫が先生で、馬車別当は用務員。どんぐりたちが生徒というところだろうか。
「どんぐりと山猫」論 -改革者としての学童- 信時哲郎
信時氏は「どんぐり=生徒、山猫=先生、馬車別当=用務員」と位置づけをし、さらに馬車別当の持つ鞭から「大正時代の詰め込み教育」を連想しています。
(参考)「どんぐりと山猫」論 : 改革者としての学童, 信時哲郎, 1994年, 上智大学国文学論集 (27)
信時氏の説にさらに付け加えて、どんぐりたちについては、山猫が「どうもまい年、この裁判でくるしみます。」と言っていることも考え合わせてみようと思います。
この裁判は毎年定期的に行われています。
小学校も毎年新しい生徒が入学してきます。
その点とどんぐり達の子どもっぽさを考え合わせると、どんぐりは小学生の中でも、特に小学校に上がりたての新入生と考えられるのではないでしょうか。
登場人物を学校の見立てに当てはめると、
・山猫・馬車別当…先生サイド(封建的・大正時代の詰め込み教育を連想)
・どんぐり…その教育を受ける、小学校に入学したての学童
と考えられる
一郎の判決の結末 山猫にもたらしたもの どんぐりにもたらしたもの
ここまで、一郎の判決と黄金色の世界の現実との矛盾を見てきました。
そして宮沢賢治の広告文から、舞台が学校に見立てられていることを確認し、山猫と馬車別当は先生サイド(大人)、どんぐりは生徒サイド(入学したての学童)と分類してみました。
次に、一郎の判決が山猫とどんぐりに与えた結果について考えていきます。
一郎の判決が、登場人物にもたらしたもの
一郎の判決がもたらした結果は、相手によって異なっています。
山猫(先生)の立場から見るとこうなります。
どんぐりたちは、一郎の判決を聞いて大人しく動かなくなりました。
その結果、山猫の心を悩ましていた3日間の喧騒が解決したので、一郎を褒めました。
どんぐり(新入生)の立場から見るとこうなります。
自分のいい所を認めてもらいたかった黄金色のどんぐりは、一郎の言葉を聞いて何も言えなくなり、めっきのどんぐりや塩鮭の頭と同じぐらいの価値だと山猫に言われ、物扱いをされ、最後はただの茶色のどんぐりになりました。
一郎の言葉は、山猫(先生)からみれば望む結果をもたらしましたが、どんぐり(生徒)からすればただの茶色のどんぐりになるきっかけ
黄金色から茶色に変化したどんぐり
つまり一郎の言葉は、山猫(先生)からみれば望む結果をもたらしましたが、どんぐり(生徒)からすれば解決ではなく、自分達の言葉を封じ込めるきっかけになるものでした。
どんぐりはこの言葉の前は、いくら「どんぐりのせいくらべ」とは言え、自分の良さを語っていました。
なにより生き生きと金色に輝いていました。
一郎の判決は、どんぐりを何も言えない状態にし、どんぐりたちの言葉を封じました。
動かなくなり、めっきでも黄金でもかわらないどうでもいいものとされ、一郎の世界に戻る頃にはすっかりと輝きを失ってしまっています。
『どんぐりと山猫』の判決は、山猫の問題は解決していますが、どんぐりの輝きを失わせています。
一郎の判決文 どんぐりが固まった理由
どんぐりが固まった理由について、詳しく見て行きます。
一郎の判決は「優れているものがえらい」と言わせないために、「劣っているものがえらい」として、単なる言葉遊びをしているようにも見えます。
例えば一郎の判決のあとに、どんぐりが「自分が優れている」ことをまた言い出したら、一郎の判決ではそれは「えらくない」ことになります。
どんぐり達は結局は現実から「えらい」の重要性を知っています。
今までと同じように「自分が優れている」というとえらくなくなってしまうのでそれは言葉に出せません。
そして逆に「えらい」と思われる目的で一郎の判決に添い、「自分が完全に劣っている」ことを言い出したとします。
言葉上はそれが「えらい」ということになるのかもしれません。
けれど本当に他人はそう思うでしょうか。
結局それは「自分が劣っている」部分です。わざわざ言うのは、どんぐり達にとって面白くないことです。
たぶんどんぐりたちは、一郎の言葉に納得したというよりも、混乱して、何も言えなくなってしまったのだと思います。
一郎の判決は、どんぐり達から言葉を失わせた
一郎はお説教を理解していたか デクノボウと結び付けることの疑問
ここでもう一度、一郎の判決に戻ります。
そんなら、こう言いわたしたらいいでしょう。このなかでいちばんばかで、めちゃくちゃで、まるでなっていないようなのが、いちばんえらいとね。ぼくお説教できいたんです。
この判決に、宮沢賢治の有名な詩『雨ニモマケズ』に見られる「デクノボウ精神」を見て、ここに物語の主題があると考える人もいます。
みんなに認められない、苦にもされないデクノボウに価値を見出して、それにこそ自分はなりたい、という詩です。
ただし、この判決を簡単に「デクノボウ精神」と結び付けていいかという疑問を提示したかたもいます。
牛山恵氏は「どんぐりと山猫論」の中でこのように言っています。
ただしこの場合、賢治の理想とした「デクノボー」は、「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」という存在であることを忘れてはならない。
「どんぐりと山猫」論 牛山恵
(参考)「どんぐりと山猫」論, 牛山恵, 1989年, 国語研究 7
『雨ニモマケズ』の「良く見聞きしそして忘れず」という人物は、『どんぐりと山猫』の「いちばんばか」と同じと考えていいかは確かに疑問です。
このように一郎の言葉は、一見宮沢賢治の「デクノボウ精神」をなぞっている様に見えますが、そのままでは言葉足らずなところがあります。
一郎の発した言葉は「お説教できいた話の受け売り」です。
一郎はあっけらかんと話しています。自分が言っている内容の難しさはわかっていないようです。
このことから、一郎の判決はお説教で聴いた「デクノボウ精神」そのままをきちんと言っているのか、そもそも「デクノボウ精神」は一郎にきちんと伝わっているかには疑問の余地があります。
一郎がお説教で聴いた「えらいはえらくない」の意味をきちんと理解していたかには疑問が残る
まとめ 宮沢賢治が『どんぐりと山猫』で考えていたこと
『どんぐりと山猫』は一郎の判決を教訓と捉えることが多い作品ですが、山猫と馬車別当もえらいにこだわる人物ということを考えあわせると、一郎の言葉は作品全体の教訓にはなっていないと思います。
むしろ、「えらいにこだわらないということの難しさ」を強調しているようです。
生徒の見立てとも言えるどんぐりは裁判の結果、生き生きとした金色から、動かない茶色になってしまいました。
この結果からみると、今回の出来事は「生徒の輝きを失わせてしまう教育」だった思います。
この作品のどんぐりたちはかわいいです。
どんぐり達に対する作者の眼に皮肉はないと私は思っています。
どんぐり達がわあわあと自分がえらいと騒ぐのは、この世界でえらさにこだわる大人を見ている以上、当然のことと思えるからです。
逆に、山猫に対してはマウントやどんぐりへの物扱いなど、皮肉の眼を感じます。
先生にとっての都合の良い判決が、生徒にとっては良い判決にはなりません。
この作品は、当時教師を目指していてその後教師になった宮沢賢治が、「うまく行かなかった教育」を描くことで、逆説的に「どんな教育が正しいと言えるのか」「自分が今後どのような教師になるべきか」を模索した作品だと思いました。
また一郎が語るあっけらかんとした「デクノボウ精神」からは、「生徒にきちんと伝えることの難しさ」も感じられます。
宮沢賢治は当時、農学校の教師を目指している最中でした。
つまりこの作品は「教育の難しさ」が大きなテーマであり、宮沢賢治が当時、今後関わる教育の世界について真剣に考えていた様子が伺えます。
捕捉 Yahoo知恵袋からの疑問
宮沢賢治原作の「どんぐりと山猫」の最後で、なぜ再び一郎のもとに山猫から手紙が来ることはなかったのでしょうか?
Yahoo知恵袋で見かけたこちらの質問について、最後に捕捉します。
1つ目の答え 一郎が山猫の配下に入らなかったから
この1つ目の答えは、まず一郎自身も気が付いているように思います。
それからあと、山ねこ拝というはがきは、もうきませんでした。やっぱり、出頭すべしと書いてもいいと言えばよかったと、一郎はときどき思うのです。
一郎も「出頭すべしと書いていいと言えば手紙がきたかも」と思っているように、一郎のもとにその後山ねこから手紙が届かなかった理由を、私は「一郎が山猫の配下に入らなかったから」だと考えています。
めんどうな裁判を終わらせた一郎は有用です。けれど、一郎が自分の配下に入らない以上、山猫にとっては危険な存在になります。
その優秀さを発揮することによって、立場が逆転し、いつ自分の立場が脅かされるかわからないからです。
これは順位を気にする山猫にとっては由々しき問題です。
だから、山猫はもう一郎に頼るのを止めたのだと思います。
2つ目の答え 「かねた」一郎
2つ目の答えとしては、一郎の分類です。
一郎は人間世界の小学校の生徒ですが、どんぐり達よりもお兄さんのように見えます。
馬車別当に「小学校5年生でも書けない」と言っていることから、小学校3~4年程度と連想されます。
それでは、今まで「山猫・馬車別当=先生サイド(大人)」「どんぐり達=生徒サイド(子供)」と分類してきましたが、一郎はどちらに入るのでしょう。
先ほども引用した、牛山恵氏は「どんぐりと山猫論」の中で「一郎の成長」として次のように書いています。
一郎は、それに応じるかのように、葉書を受け取ってすぐあとは「はがきをそっと学校のかばんにしまって、うちぢゅうとんだりはねたり」するような、あるいは「おそくまでねむ」れないような無邪気な喜びようをしたが、翌日は違った。まるで一晩で成長してしまったかのようにその行動には幼さを思わせるような無駄がない。
「どんぐりと山猫論」牛山恵
一郎は葉書を受け取った時は子供のような喜びようでしたが、翌日には大人のような振る舞いをするようになりました。
馬車別当や山猫に対する時にも、一郎は大人の対応をしています。
そして、「一郎は物語中で子供から大人になった人物である」ということは、一郎の名前にも現れています。
最初に届いた葉書の宛名を見ると、一郎の名前は「かねた」一郎です。
この「かねた」は馬車別当には書けない少し難しい漢字「兼田」一郎で、一郎は「大人と子供を兼ねる存在」として位置づけられているのではないでしょうか。
一郎は子供と大人のちょうど中間にいる人物でしたが、葉書を受け取った翌日には大人になります。
「山猫から」と書かれた少しおかしな手紙を受け取り、素直に行きたいと思えるのは子供の心です。
逆に山猫が求めるのは、実際にやってくる子供の素直さと、自分にとって有益になる大人の分別のある人物です。
この中間地点にあったからこそ、一郎にはハガキが届いたのだと思います。
そして、今は完全に大人になった一郎には、ハガキが届かない(もしくは届いたとしても見えない)のかもしれません。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
こちらの記事では同じ宮沢賢治の作品を考察しています。
興味があるかたはご覧ください。
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